「与える幸い」  06.11.12
            使徒言行録20:33〜38

 「受けるより与えるほうが幸いである。」たいへん有名な
聖書の言葉です。心が揺り動かされる言葉です。
 「愛」は、「与える」という言葉で説明されることがあります。
 私たちが思う「愛」には、「求める」、「得る」といった気持ちが
強いと思いますが、聖書で語られる「愛」は、「与える愛」です。
 神さまは、人を愛するがゆえに、救いを与えてくださいました。
 自分が得ることに夢中になっている時には、豊かな愛の心は
見失われます。そこには、幸いな世界は生まれません。ミレーの
「落穂ひろい」の絵は、聖書の世界が題材です。聖書では、畑で
こぼれ落ちた穂を拾うことが禁じられています。それは、落ちた
穂は、貧しい人に与えなさいということです。「落穂ひろい」には、
絵の美しさだけでなく、他者に与える心や、助けようとする心の
美しさがあります。
 「弱い者を助けるように」と言われますが、どんな人のこと
でしょうか。
 まず思い起こすのは、病気、高齢、障碍といった肉体の弱さを
抱えている人のことです。そしてそれを支える家族でしょう。
 聖書は、孤児や夫を亡くした女性のように、経済的に弱く、
社会的立場も弱い人、さらに、環境の違う中で生活をしている
外国人も、弱い者と考えました。
 また、信仰の弱い者も、心を配り、助けるべき相手と考えて
います。
 私たちの周囲に、教会の中に、そんな人がたくさんおられます。
 しかし、それらの弱い人たちの存在に、気づいていないことも
多いのではないでしょうか。少し心を柔らかにして、自分の周りを
見渡すならば、すぐに気づけることでしょう。
 そして、気づいたならば、与え、助ける心から生まれてくる美しさを、
周囲のあちらこちらに咲かせていただきたいと思います。
 
主イエスは、罪深い私たちの救いのために、ご自分を与える
かのようにして、十字架に進まれました。 
 命を与え、救ってくださいました。
 そんな主イエスの愛を味わい喜ぶ私たちに、神さまは、
受けるだけでなく「与える心」を生みだしてくださるでしょう。